年末年始と仕事

まさか元旦に震災が起こるとは思っていなかった。その時、普段は石川に住む友人と一緒にいるとは余計に想定外だった。随分と油断をしていたのだと反省はしたものの、それでも僕は震災当事者ではないという現実しかなかった。どんなに無理やり共感しようとしても、家族を心配する人間と同じ気持ちで映像を見れるわけではない。当たり前のことだと思う。

SNS上では、津波に気をつけて。高台に逃げろというアドバイス?や瓦礫に埋まっているから助けてほしいという見ず知らずの誰かの投稿を友人たちがリポストしたために震災一色であった。瓦礫に埋もれている人がSNSを使うんだろうかなどと疑問に思ってしまう時点で僕の負けだ。真実かもしれないから拡散する、という彼らの優しさや当事者意識は僕には欠けているものだと思った。

本当の当事者を目の前にして彼らが同じ行動を取れるのか考えてしまう時点で僕は性格が悪い。まあ性格が悪いのは今に始まったことではない。

起業家の動きとしてはLINEヤフーの川邊健太郎会長の動きが目に止まった。正しくは彼との差をあまりにも痛感したために、自分の無力さを余計に味わうことになった。

正しい情報を可能な限りまとめて被災地に届ける。物資を届けることさえ受け入れる準備ができていない被災地ではありがた迷惑になってしまうことを考えれば、インターネットの会社が情報を被災地に早く届けるというのはあまりにも正しい。被災地に届ける義援金をクレジットカードのみならずポイントでも寄付できるようにするなんて、あまりにも準備ができている。311の教訓から次にも必ず起こってしまう震災に向けて準備をしていたことも、元旦という状況下でも社員も出てきて被災地のために情報をまとめていることも速すぎて全く戦える可能性がないなと感じるには十分だった。

大企業は意思決定が遅い。早く成長したいからベンチャー企業に行く。と過去に発言したことを訂正したい。企業の規模に関わらず、速いチームは速いし、そもそも早い。ベンチャー企業はあまりにも無力だ。

まだ成功していない起業家が貧乏であることも含めて、今回の震災で僕は何一つ力になれそうにない。

震災が来ない未来が一番ではあるが、どんなに気をつけて暮らしていても徳を積んで生きていても、震災はまた必ず起きてしまう。悔しいけれどいつ来るかわからない次の震災では少しでも誰かの役に立てるように日々仕事に打ち込んでいく。年末だから、年始だからと特別感を持ったタイミングでだけ自分を振り返る、というのは好きではないけど、今年の目標を一つだけ。

今年はまず1ドルでも構わないので海外からの売上を獲得するつもりです。頑張ります。

新生活

週末で引っ越しを終え、久しぶりの一人暮らしを始めた。学生時代は弟と、社会人になってからは同僚と住むことが多かったし共同生活は好きなのだが、どうやら僕は一人暮らしも好きなようだ。

白湯を飲み、朝食のゆで卵をつくっているだけで満足していたら、上京したての大学生も呆れるが事実として少しの感動がある。ここ数年人間らしい生活を一切放棄していたからだ。

土台となる生活を整え、仕事をする。眼の前の仕事を1日分やり切ったら今度は能力開発のための学習をする。そんな繰り返しの日々を静かに送れそうなことに今はただ感謝している。

また始める

学生時代までは、走ることと文章を書くことだけはほとんど毎日続けていたと記憶している。読書もだろうか。何かを食べて取り入れ、その分走って外に出す。何かしら文章に触れて(多くの場合漫画であったけれど)取り入れて、文章として外に出す。インプットとアウトプットなどと言ってしまうと意識の高いようではあるけれど、入れて出すという極めて当たり前のことをしていたように思う。当時は習慣にしてやろうという確固たる意志みたいなものもなかった。一度転がりだした石ころが転がり続けるようにただ慣性だか重力だかに引っ張られていただけだった。

それでは一体なぜ僕は走ることも書くこともやめてしまったのだろうか。

最初に思いつく理由は、激務の会社に入り平日はもちろんのこと土日も勝手に会社に入り込んでは仕事をしていたことだろうか。食事の時間も仕事をするようになり、お酒を飲む相手も仕事で付き合いのある人間だけになっていった。それだけ仕事が好きだったのだ。成果が出ていたのかというのは置いておいて。

しかし仕事に全力を注いでいるから書くことを辞めるというのは、理由としては少し弱いように思える。なぜ、書くことをやめたのか。

理由は認めたくないだけでわかっている。結果を出せていないビジネスマンというのは、インターネット上で自分の意見を書き連ねるのが難しい場面がある。そして僕の場合はそれが約5年間続いたというだけのことだ。

手を動かし、文字として自分の外側に出していきます。